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【2024/05/02 14:29 】

2006年12月4日(月)
ホームページに子どもの写真を無断掲載し、悪質なコメントを書いていた人物が起訴されるという事件が起きた。法律上では「著作権法」にかかわる違反になるらしい。

たしかに、インターネットは便利だ。
最新の情報を簡単に検索できたり、情報をより多くの不特定多数に発信できたり、メリットは多い。
しかし、便利で文明の粋を集めた利器のはずなのに、悪用している人間がなんと多いことか。
電子メールもしかり。毎日のように届く迷惑メールを見ていると「ほんとに人類は大丈夫だろうか?」と、心配になってくる。

文章には「哲学」があるべきだ。
どんな文章をよしとするかは、その人それぞれの好みだけど、発信者であるからには、常に責任と緊張感をもって情報なり表現を選ばなくてはいけないはずだ。
自分自身、編集の仕事をしていたときも、フリーになった今でも、その姿勢は忘れてはいない。
基本姿勢は「書かれた当人(著作者)が嫌な思いをしないこと」「守秘義務はきちんと守ること」
…それは、自分を信用してくれている相手に対する人間として、大人として、社会生活の最低限のマナーのはず。法律以前の問題だ。

最新鋭の情報機器が、「世界規模の井戸端会議」の場を提供する結果になっているなんて、何だか悲しい。…インターネットが人類にとって、「良心」を麻痺させる滅びのアイテムになってほしくはない。
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【2006/12/04 23:43 】

2006年10月26日(木)
高校の「必修科目」の履修もれの問題が取りざたされている。
いずれも受験優先で、「必修科目」を教えてなかった問題なのだが、私の高校時代も「必修クラブは数学必須(実質補習授業)」「指定問題集が教科書」など、「受験突破」のためのおかしなオキテがあった。
…もっとも反骨精神(だけじゃないけど)旺盛のドック隊長は「百人一首」「合唱」「剣道(部活を強制退部させられたため)」と優雅な選択をして、親にも先生にもお小言をいただいたという経歴がある。

とはいえ「フィボナッチ数列」も「微分積分」も、それを発見した人の人となりや「なぜその発見に至ったか」を授業の中で示唆してくれていたら、もっと興味を持って取り組めたけど、黒板いっぱいにひたすら方程式を書いて「四落五入」(睡眠時間が多い人間は受験を突破できないぞというエピソード)の教えだけをひたすらインプットされたトラウマ的な数学の「必修」授業は逆効果。
結局「受験前提の授業なんて意味ないじゃん!!」という深層心理を植えつける結果になった(笑)。

昨今「ゆとり教育の弊害」とか言われているけど、その「ゆとり教育」真っ只中の世代が私たち70年代。なんかアイディンティティーを否定されているようで正直あまりうれしいものではない。

自然に囲まれた環境だったので、小学校の「ゆとりの時間」は月に1度の近くの山歩きやレク大会。
「マンモス学校」ならではの集団行事で他の学級との交流の時間にもなり、楽しかった。
「子ども時代の嫌な思い出」はあるにせよ、「いじめで自殺」する子もいなかった。
当時は40人学級制、ドック隊長のような「目が離せない子」もいるなかで(笑)、先生たちは本当に大変だったと思う。
それにしても「ゆとりの時間」は楽しかったし、あのときの野山を歩いた感覚などは、くだんの「数学の授業」よりはるかに人生にプラスになっている…はずなのに…。

「教育改革」とは、また勝手な「錦の御旗」だなあと思う。
「更新制度」で免許剥奪(?)される予定の「採用試験不合格者」が言うのもなんだけど…。
中・高校時代の「人生の指針」は図書館で読みまくった本が語ってくれた。
「伝統芸能」のよさや「工芸作品」の美しさも、みんな大学在学中やそれ以降に実感した価値観。
だとしたら、「美しい日本」の教育って、誰がいつ、どこで誰のために行うんだろう?

「歌舞伎」の舞台をみたことのない「先生」に「伝統芸能の魅力」を伝えられる?
「美術館」に行ったことのない「教師」に「ゴッホの絵の特性と魅力」を語れる?
「子どもの本」に興味のない「校長先生」に「友達を大切にしましょう」と、実感を持って言う資格ある?

現場の教師は忙しい。それはわかる。でも、教師以外の人間も必死になって「社会」をきりもりしている。
みんなで「これからの日本」をつくって行こうよ!
前にも書いたけど、それは決して「政治家」だけの役割じゃないはず。

本日の出没地域★朝倉彫塑館、新国立博物館
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【2006/10/26 08:53 】

2006年10月1日(日)

朝の新聞に「いじめで自殺」の記事が載っていた。

事件そのものは昨年の9月のことなんだけど、学校側が「遺書」の中身を伏せていたという記事だった。
私自身、子ども時代に孤独感を味わっていた時代があるだけに、こうした記事を見ると心が痛む。

全国の子どもたちに言いたい。「でも、やっぱり死なないで!!!!!」と。

今になってみれば、当時の自分が「変わり者」扱いされていた要因(自分ではどうしようもないことも含めて)も客観的に分析できるようになった。
でも、大きな世界に出たら、逆にそれがプラスに働いて、たくさんのかけがえのない出会につながった。
「群れ」を作らないと不安になるのは、ちっぽけな集団の特徴。
その中で生きていけないことは、決して罪じゃない。

世界は大きくて、広くて、たくさんの人間がいる。味方になってくれる人だっている。

あの当時自分が世を去っていたら、そんな出会いはなかった。だから言いたい
「その時はきっとくる。だから生きていて!」って。

もちろん人によって苦しみの受け方は違うから、楽天的な私の性格と同じにはできないけど、でもやっぱりそれでも、悩んで悩んで死んでしまった子に
「なんとか生きる道をみつけて!」と伝えたかった。
それは、時間的に生きるとことでもあるし、精神的に生きることでもある。

ほんとうは、子どもたちにそれを伝えたくて、試行錯誤を繰り返しているのだ。
「子どもを救える存在になりたい」というライフワークがまだ形にならないまま、色んな事件を手をこまねいて見ているしかない自分がもどかしい。
「また、間に合わなかった」と、無力な自分が悔しい。

正直言ってそんなことなんか気にせずに、現在の「自分の生活」だけに目をむけて暮らせば、無駄な労力をかけずにすむし、心理的にももっとラクチンでいられる。
でも、個人個人がもっと広い視野で物事を見て、自分自身の力をあますことなく発揮できれば、世の中はよくなるはず!そう思うから、やっぱり自分だけじゃないことに力を注ぎたい。

私は私の戦い方で、「何か」と闘っていかなくちゃいけない。
そして、人の心を耕すためには、「時間」が必要で、過去にそういう「発掘者」だった人たちが、すこしずつ築き上げてきた「何か」を、やっぱりバトンとして次につなげたい。
日本人として、国際社会の一員として…。

昔そんな話を切々と訴えたら、怪訝な顔で「あなた政治家になりたいの?」と言われたが、そうじゃない。
政治家には政治家の闘い方があり、芸術家には芸術家の闘い方がある。

「戦わない」という道を選ぶ人がいてもいい。でも自分は、今はまだ闘いをやめるわけにはいかない。
抽象的なことだけど、同じ気持ちを持っている人には、どんなことが言いたいのか、漠然とイメージしていただけると思う。

…ここ数日、いろいろなことが同時進行していて、ちょっと疲れ気味。
でも、もっともっと苦しんでいたり、疲れている人がいる。
がんばれるうちにがんばらなくちゃ!

今日のスクランブル・ニュース★林敬三さんが「スクランブル・ドック」メンバーに♪

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【2006/10/01 11:14 】

2006年7月12日(水)本日はレギュラーワーク
☆最近の気になる話題…それは「教員免許更新制度」。
かくいう私、ペーパードライバーならぬ「ペーパー教員免許有資格者」なのですが…。

大学卒業後、教育関連の職場を経て、現在フリーとなった自分にとって、「教員免許」は、アイディンティティーともいえる「学びの証」。
いまさら「学校の先生」になるつもりはないけど、教育は、私の大切なライフワーク。
まあ「御守」の免許じゃないとは、わかってるけどね…。

☆更新制度の目的は「現場の教員のスキル維持のため」らしいけど、それってピントがずれてない?

どんな制度があったって、「成績はいいけど人間的にダメ」っていう人材はいるんだし、教育技術や意識の研鑽を主眼とするなら、学習塾の先生のほうが、企業存続がかかっている分、はるかに真剣だもの。
「収入が安定しているから公務員(教員)」って、平気で言っちゃう人たちが、この制度によって失効するとは思えない。…だったら一体何のための更新制度なんだろう?
☆何事もわりとポジティブに考える自分だけど、この問題については、どうも納得いかない。
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【2006/07/12 19:48 】
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