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【2024/05/02 17:21 】

2007年1月11日(木)
今日の朝刊に、児童文学者協会会長の木暮正夫氏の訃報が載っていた。
以前、インタビューでお会いさせていだたいて、長らくご無沙汰だったけど、近々お目にかかれたら…と思っていた矢先のできごとだった。
享年67歳。
まだまだお若かったのに…びっくりした。
「寅さん」を彷彿とさせる笑顔の、とても優しい方だった。

本棚から、木暮さんご自身の少年時代の思い出を描いたという
『はだかの山脈』を手にとってめくってみた。
「力強く生きる」ことを伝えてくれた、私たちの世代が親しんでいた児童文学がそこに息づいている。
小学生には難しい内容でも、年月を経てはじめて見えてくる風景がある。

最近、子どもたちの「生きる」ことに対する意識が薄くなっている。
自分の命も、他人の命も軽く扱う。
それじゃ、いけない。
「命」はバーチャルじゃない。

人間の可能性は大きい。それを信じて伸びていかなくちゃいけない。
かつて、私たちが上の世代に力強いメッセージをもらって生きてきたように、私たち自身の世代が次の子どもたちをうけとめて、見守っていかなくちゃいけない。
今「中堅」になりつつある私たちの世代が、次に伝えなければいけない。
そのために何ができるか…。

何かをしなくちゃいけない。
今年は、忙しさを言い訳にせず、一歩を踏み出す年にしよう。
…それは、大変なことだけれども…。

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【2007/01/11 22:12 】

2006年12月30日(土)
今日の朝刊に、一年間の訃報が載っていた。
その中でびっくりしたのが「灰谷健次郎さん」。
『太陽の子』『兎の眼』など、いずれも何度も読んだ本。
11月23日にご逝去ということだが、はからずもその週末には、『太陽の子』の舞台であり、灰谷さんの出身地である神戸に出張していた。
「ふうちゃん」や「てだのふあ・おきなわ亭」の面影をどこかに探しつつ…。
お眼にかかったことはないけれど、いつかお会いしたい方だった。
子どもたちの未来を、どうか空から見守っていてください。
ひと月遅れの訃報に…合掌。
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【2006/12/30 09:12 】

2006年11月30日(水)
今日の朝刊で木下順二さんのご逝去を知った。

中学生のとき、図書委員の特権を利用して、準備室にある3年生の教科書を読んでは「いいなあ~」とあこがれていた『夕鶴』。
2年生の冬の「卒業生を送る会」で上演し(当然のことながら子ども役だったけど)、つうの長セリフを犬の散歩中に暗記した『夕鶴』。

「あたしの大事な与ひょう…あんたは他のひととは違う人、あたしの世界の人…それなのにあんたはあたしから離れていってしまう…」

最近ふと口ずさんでみて、これって今の「日本」に対して、失われつつある「何か」が語りかけているみたいだなあ…、と思っていた。

たまたま先週、ダンナに「ねえ、二人で朗読劇『夕鶴』を作ろうよ!」と持ちかけて、
「やだよ!」
「それなら相手役をしてくれるダンナを探すからいいもん!」
「おい!!」という夫婦喧嘩(?)を演じたばかり…。

朗読で伝える『夕鶴』。
もっと早く思いついていればよかったなあ…。
今日の空は、どんより曇った冬空。
鶴の姿に思いをはせ、すでにこの世にはいらっしゃらない木下順二さんに…合掌。
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【2006/11/30 08:58 】

2006年11月4日(土)

今日はエムナマエさんにお声をかけていただき、「絵門ゆう子さんを偲ぶ会」にお供させていただいた。
絵門さんは、元NHKのアナウンサーで、女優などもされた方。
今年4月にがんで他界される寸前まで、朗読やエッセイなどで、人々に勇気を与え続けた女性。

今日はご主人の三門さんをはじめ、『うさぎのユック』のイラストレーターの中川翔之郎さんや、ご友人の方々などがお見えになって、それぞれの「絵門さんの思い出」が語られました。
「パワーにあふれた人」「人のことをよく考えていた人」「語ることがたくさんあふれていた人」「ユーモアにあふれていた人」…。
それぞれの方の口から出る「絵門ゆう子さん」は、とても魅力的で、最後のステージになった朗読のステージの映像なども見せていただき、「その人の存在がいかに大きかったか」を肌で感じました。

「いい人との出会いは、かけがいのない出会いにつながる」
そんな思いを感じた今日の「偲ぶ会」でした。

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【2006/11/04 21:44 】

2006年9月17日(日)

大学時代の恩師、広川省吾(広川青五)先生の訃報を新聞で見て、告別式に行きました。
「卒業以来のご無沙汰ですみません」と心の中で謝りつつお焼香をし、見るとそこには十数年ぶりに見る先生の笑顔の遺影…。

涙があふれて、とまりませんでした。

お別れの言葉でどなたかが「先生は作品にとても厳しい方でした」と、おっしゃっていたけれど、私の記憶にある広川先生の姿は、温和な笑顔ばかり。
展覧会の講評のときにも、仕上げが雑なダメっ子だった私の作品のいいところをみつけてほめてくださった声が、ありありと記憶によみがえりました。

ダメ出ししたいことはたくさんあっても、それ以上に「染織を楽しむ心」を育てようと、初心者の私たちを温かい思いで見てくれていたのだなあと、懐かしい思いでいっぱいです。

今の自分が伝統工芸などに興味を持つきっかけになったのも、先生が教えてくださった作品作りの面白さがあってのこと…。
「せめて年賀状なりとも、近況報告をしておけばよかった」と、忘れるともなしに過ごしてしまった日々が残念です。
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【2006/09/22 07:11 】
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