2007年2月24日(土)
たまたまテレビをつけたら、森進一氏の「おふくろさん」の歌詞について、作詞家とのトラブルについて報道されていた。
趣旨としては、歌のはじめに森氏が歌うときに入れている「語り部分」をめぐっての対立らしい。
この件については、私自身のその「歌われた場」に居合わせていないので、なんともいえないが、自分の身にひきあわせてみるに、「表現者」というのは、つくづくむずかしい立場だな…、と感じる。
芝居だっておんなじだ。「脚本」と「表現者」「観客」があってはじめて存在の意義を持つ芸術であらばこそ、「表現者」(この場合は、俳優と演出の双方を含んでいるが)の解釈や力量が問われもするし、「その表現者の演じる芝居」である意義がある。
セリフ一つだって、解釈によって言い方が変わるし、それによってその一言のもつ意味が、ときには180度変わってくる。
だから面白いんだけど…。
役者の立場で見れば自分と違う感覚に出会うと「こりゃ一本とられた!!」と痛快に思う解釈もあるし、「いやー、それは良くないんじゃないか??」と疑問に思う表現もある。
まあ、ひるがえって自分の身をかえりみるに、同じ思いで見ている観客もいるわけだから、表現者は自分の「表現」に責任をもたなくてはいけないし、「こんな表現を求めていた!!」と観客が応じてくれて、はじめて自分の表現の意義がある。
だから安易に批判はできないし、舞台の上では「感覚をフル回転」しなくちゃいけないいんだけど…。
人の感覚に「絶対」はない。思った表現が媒体一つで全然かわってしまう。
先日の「フィガロ」の公演の記録映像を見ててつくづく思った。
ああ、「表現」は難しい。
…こころして精進いたします。
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